誰の声も届かない 誰の願いも届かない そんな深い深い闇の中で 陽の月 陰の峠 空気は劈くように冷たい。 北国特有の寒さは自分が根城としている所も良い勝負だと思っていたが、 やはり奥州ともなると格が違う。 かと言って、 忍びとして相応に修行した身ともなれば、気温でどうこう文句を垂れるつもりも無い。 普通ならばこう考えるだろうと言った事を儀礼的に考えているに過ぎない。 一種の暇潰しみたいなものなのかも知れない。 忍びなんて因果なものだ。 こうして人が人生と言う短く儚い時間を費やしていると言うのに、 その労力は結局人殺しの糧となる。 真田幸村と言う自身が御身奉げると決めた彼にとて、 どこかしら憎しみを抱かずにいられない。 きっと、 自分は一生誰にも憎しみを抱かずにはいられない。 誰かを憎まなければ生きて行けない。 軽く溜息を吐いて、意識を前方の灯りに向ける。 けれども、宵の時に出陣する気配は無い。 特に騒ぐ訳でもなく、陣はただ静かに半間休息の様相を呈している。 命を受けて奥州伊達正宗の偵察に来て2日。 伊達勢にこれと言った遠征の動きも無く、 明日には引き返し、上杉を見てから帰ることになるだろう。 けれど、 こうした瞬間にふと思う。 今此処で自分が伊達の首を上げたら、 世はどうなるだろうか、と。 落とせる確証も無いが、落とせないとも思えない。 けれど、いつも苦笑するだけで終わる。 自分で何かを求めるなど無意味だから。 さっと、木を飛び降りる。 それと同時に首に冷たいものが触れる。 「動くな」 首筋に小刀が宛がわれている事は分かったが、 特に驚きはしない。 こうして命の危機に直面するのは久し振りだと冷静に考えた。 「どこの密偵ですか」 「機密事項なんで」 「政宗様の首を採りに来たか下郎が」 「って事は、あんたは伊達の家臣かい」 「しゃあしゃあとよく言うな貴様」 低過ぎず、それでいて決して高くは無い心地よい声音が耳に触れる。 「武器を捨てろ」 「持ってない」 「嘯くな。」 「…分かったよ」 そう降参の様に両手を挙げ、持っていた武具系を落とした。 暗い森の中でそれは馴染んで闇に溶けた。 すると首に宛がわれた小刀は取り払われた。 「こんな簡単に見逃して良いわけ」 さっと体の向きを変え、先程まで自分の動きを拘束していた男の方を見た。 暗がりの中ではっきりとは見えないが、 決して豪胆な体つきではなく、 寧ろ武士としては細身だろう。 けれど、先程何の気配も無く自分の背後を取った動きは、 決してただの文官では不可能な術だろう。 木々の間からしばし入り込む月明かりで彼の顔が微かに照らされる。 目元の黒子が特徴的な何処かしらの女顔に、 低い位置で結われた長い髪が鎖骨の辺りに流れている。 声から決して高齢ではないのは分かっていたが、 自分と然程変わらない年恰好だとは思っていなかった。 「武器が無ければ政宗様の首は取れまい。」 「そんなに過小評価されると傷つくけどね」 「忍びか…」 落とした手裏剣を物珍しそうに彼は手にしている。 「さっきも聞いたけど、俺の事殺さなくて言いわけ」 「無益な殺生はしない主義ですので」 彼は当に小刀を懐に直している。 「早く自分の主の所に帰ったら如何です」 「武器なんか無くてもあんたの事殺せるって言ったら」 そう言うと、 彼は静かに手にしていた手裏剣を再び闇に溶かし、 すっとその顔を自分に向けた。 それと同時に月明かりが彼の顔を照らし出す。 あまりに真摯な眼差し。 それは幸村や上杉、政宗と言った信念を貫く者の眼光。 「無益な殺生はしない」 そう言い放つと彼は背を向け自陣へと歩き出す。 一歩、 二歩と、 彼との距離が広がる。 それが酷く耐え難い事に思えた。 気が付けば、自分は彼の肩に手を伸ばしていた。 そして、 首筋に再び冷たい物が押し付けられる。 「たがが家臣と油断しましたか」 そう言って微かに笑うと、 手馴れた手付きで小刀を仕舞う。 彼は再び歩き出す。 「…名前は、」 彼の足が止まる。 てっきり無視されると思ったが、 内心あの丁寧な物腰がそう言った無礼をしないのでは無いかとも思った。 まるで子供の様に、 必死で去り行く者を引き止めるかのようだ。 「片倉小十郎」 一瞬振り返った気配がしたが、 今度ばかりは月は味方してはくれなかった。 そして、足音。 「俺は…猿飛佐助」 独り言の様に、 けれど、 彼に聞こえる様に鮮明に、 自分の名を告げる。 彼は振り向かぬまま、その距離は離れていった。 彼は自分の名を知っていただろうか。 武田の者と知れただろうか。 生まれて初めて、 自分の意思で捕まえようと伸ばした腕を見つめる。 けれど、 そこに彼の体温は無く、 冷たい冷気に晒されている。 ふと彼が先程まで手にしていた手裏剣を手に取る。 それは月に照らされ、 かつて無いほど美しく感じた。 けれど、 先刻の振り向いた彼の表情が見られなかった事が酷く恨めしく、 月を睨んだ。
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相棒こと蒼さんよりサスコ小説を貰ってしまいまし た!!!! 夜中に発狂しそうになりました。 こういう出会いもありですね小十郎カッコイイ。佐助がヘタレでいい感じです(コラ) 興奮しすぎてどうしようもなくなるようなサスコSSありがとうございました! |